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知りたい、もっと深く知りたい――。
心に宿る志だけが、世界を救える。

本庶 佑TASUKU HONJO

京都大学高等研究院副院長・特別教授

Interview 2019年2月

PROFILE

京都大学医学部卒、同大学院医学研究科修了。米国カーネギー研究所客員研究員、米国NIH(NICHD分子遺伝学研究室)客員研究員、京都大学医学部教授などを経て、1996年、京都大学大学院医学研究科長・医学部長に就任。内閣府総合科学技術会議議員、静岡県公立大学法人理事長なども務めた。2015年、先端医療振興財団(現・神戸医療産業都市推進機構)理事長に就任。ベルツ賞をはじめ、受賞多数。2018年、ノーベル生理学・医学賞受賞。ほか、京都大学高等研究院副院長・特別教授。

湧き水を大河に、渡れない場所に橋を

研究は、長く険しい道のりです。私が免疫抑制物質「PD-1」を最初に発見したのは1992年。その後「抗PD-1抗体薬」が誕生し、実際のがん治療に使われるまでに20年以上の時間を要しました。ただ私自身は、生来の楽観主義。長く険しい道のりでも、それを苦に感じたことは一度もありません。「知りたいことを研究する」――。この素朴極まりない想いに、正直であったというだけです。「知りたい」と思ったことがあれば、分かるまでやる。すると「もっと深く知りたい」と思う。好奇心を出発点に、勇気をもって挑み、確信をもって研究に集中して、あきらめずに続ければ、必ず道は開かれます。

「抗PD-1抗体」は、皮膚がんの一種である悪性黒色腫として薬事承認され、適用範囲を少しずつ拡大し、いまでは肺がん、胃がんなど7種類のがんに適用されています。適用範囲はさらに拡大し、そう遠くない将来、すべてのがんを治せる日が来るかもしれません。

私にとって研究の喜びとは、山奥の岩場でわずかに染み出す湧き水を誰よりも早く見つけ出し、その流れを少しずつ太くして、せせらぎの聞こえる小川、さらには大河へと変えていくこと。そして山奥の道なき道へ分け入り、誰も渡れなかった場所に丸木の橋を架けること。すべてのがんを撲滅できた時、きっと私の心は、その喜びで満たされることでしょう。

神戸発、世界の医療拠点を目指して

私と神戸医療産業都市とのつながりは、20年以上におよびます。1998年10月、震災からの復興事業として基本構想を話し合う会議に、京都大学医学部長として参加したのが最初でした。その後2015年には構想実現に奔走された井村裕夫先生(現・神戸医療産業都市推進機構 名誉理事長)からバトンを受け継ぎ、先端医療振興財団(現・神戸医療産業都市推進機構)の理事長として、規模拡大を果たした神戸医療産業都市の質的充実を図るため、内部の組織改革や新たな取り組みを推し進めました。

そんな私のいまの夢は、井村先生をはじめ多くの関係者が手塩にかけて育ててきたこの日本最大級のメディカルクラスターを、「世界の医療拠点」にすることです。世界に目を向ければ、貧富の格差や高齢化が進み、多くの人びとの健康と生命が脅かされています。高度医療の分野で誰もまだ取り組んでいないような神戸発のイノベーションを次々と生み出し、アジア、いや世界中の人びとに貢献することが、神戸医療産業都市の次の使命だと私は思っています。

志あれば、事ついに成る

日本の科学技術は、多くの課題を抱えています。研究費が年々減少し、若手研究者が何ものにも束縛されず、好きな研究に打ち込める環境がなくなりつつあるからです。今後は発想を転換し、民間が率先してアカデミアに研究費を還元して新たな研究成果につなげ、それが再び企業に成果をもたらすという好循環が生まれる環境を整える必要があります。その先頭を切るために、新たに若手研究者支援のための基金を創設しました。

私は、色紙に言葉を書いてくれと人から頼まれると、「有志竟成」を書くことにしています。「志を持ち続ければ、いつか必ず実現する」という意味です。新たに創設した基金も、「本庶佑有志基金」と名付けました。志とは、ひとつの事を成し遂げたいと思う気持ち。私は、誰も取り組んだことがないテーマに果敢に挑む志ある研究者とともに、「世界の医療拠点」という夢を追い求めていきたいと思っています。